2020/4/20

アルコールが自制心や道徳観を奪う

 

 イネーブラーの行動

 
 
 アルコール依存症は病気です。
 
 
 かつては本人の自制心の弱さや、道徳観の無さがアルコール依存症の原因であると言われてきました。
 
 
  しかし、この認識は大きな誤りです。アルコール依存という病気が、罹患者の自制心や道徳観を奪うのです。
 
 
 アルコール依存症は本人の意思の問題であるという認識が、早期発見や早期治療を遅らせることとなります。
 
 
 周りからそのような目線で見られれば本人は自身のことを責めストレスを感じるでしょう。
 
それは更なるストレスとなりアルコールへの依存を悪化させる原因にもなり得ます。
 
 
 
 罹患者本人がアルコール依存は意思の問題であると認識している場合も、「お酒をやめたいと思った時に、頑張ればなんとかなる」という考えにいたり、いつでも止められるから大丈夫という安心材料になりかねません。
 
 

「病気である」という認識がアルコール依存から脱出するための第一歩となります。この病気は否認の病気とも言われています。
 
 
 自分は依存をしていない、と思っているケースが多く他人から指摘されても中々認められません。
 
 
 それは「飲むこと」=「楽しいこと」という構造ができあがり、本人自身も周りも、楽しんでお酒を飲んでいると思っているからです。
 
 
 自身の娯楽のために飲んでいるのに何故病気だと言われないといけないのか憤りを覚える人もいるでしょう。
 
 依存状態が他人からの指摘を受けている場合は、それが社会的な許容を外れた飲酒になっているのです。
 
 
 
 
 自らの意思で招き、自らの意思でコントロールできなくなっていくのがアルコール依存症なのです。
 
 
 
 
 多くのアルコール依存患者の周りにはイネーブラーという存在があります。
 
 これは、支え手とも呼ばれ、精神保健の世界では2種類の意味を持ちます。1つは、罹患者の「お酒をやめたい」という気持ちや自立心、成長を促す役割を果たす意味合い。
 
 
 もう1つは、罹患者の肩代わりなどの役割を担い本人の問題行為の解決を遅らせてしまう意味合いを持ちます。
 
 
 この記事では後者についてのイネブリングを定義とします。イネーブラーはアルコール依存症患者が依存によって巻き起こす社会への迷惑行為などを代わりに肩代わりしたり、生活を監視し禁酒を強制的に行わせようとします。
 
 
 
 イネーブラーの行動によって、罹患者の依存は悪化する場合が多いです。例えば過度の酩酊によって出勤できない場合にイネーブラーは本人の代わりに電話をします。
 
 
 その行動が愛情から来るものであったとしても、結果的に罹患者は行動の責任を自分でとることを免れ、迷惑行為の重大さに気づくことはありません。
 
 
 酒を隠されたところで「じゃあ止めよう」となるならそれはアルコール依存症の状態ではないのです。
 
 
 イネーブラーが躍起になれば躍起になるほど罹患者は更に強情にお酒に溺れることになります。
 
 
 
 
  イネーブラーがいざ手助けを断とうと踏み切るのは、とても怖いことです。この人は自分無しでは生きていけない、と思っているイネーブラーはとても多いです。
 
 それは一方で、アルコールに依存している患者同様に、アルコール依存患者にイネーブラーが依存してしまっている状態とも言えるでしょう。